Native Americanの大地へ


2/23 タオス→グランツ

昨日はタオスに行けなかったので今日再び行くことになった。 タオスまでの道のりは途中リオグランデ渓谷を通っていく。深く険しい渓谷だが、水の美しい釣りをするにはもってこいの所だ。
渓谷を登り切るといきなり視界が開けてタオスの町とホイーラーピークの美しい山容と大地の裂け目のようなリオグランデ渓谷が一望に見渡せる。
いよいよタオスの町だ。昨夜は暗くなってから通ったので良く判らなかったが、この町もスペインとプエブロ文化が
融合した独特の雰囲気を持っている。町はプラザを中心にアドービ建築のかわいらしい店やギャラリーが並んでいる。この町ものんびりと散策するにはもってこいのところだ。

今回はそこはとばして、町の北側にあるタオスプエブロに行く。ここはプエブロの古い集落がきちんと残っていて(一番古いもので600年前だそうだ)、今も人々が住んでいる世界遺産に指定されている所だ。集落の入口で入場料を払うと、すぐ右に聖ジェロニモ教会が有り、内部はこじんまりとした太い梁の教会だ。

■聖ジェロニモ教会■


集落の中心は広い広場になっている。後ろには頂に雪を抱いた聖なるホイーラーピークがそびえ、そこから湧き出したタオス川が集落の中心を流れている。両岸にアドービ式集合住宅が2層もしくは3、4層で建てられている。
風は冷たいがハイデザート特有のまぶしい日射しが陰影を生み不思議な空間を作っている。丸い土で造られたパン焼き窯が各家の前に並び、外の眩しさに反して暗い家の内部には色々な彼らの工芸品やジュエリーが並べられている。その中は必ず暖炉に薪がくべられ、その前で静かに彼らは佇んでいた。セージの香りが心地よくさせ、工芸品について訊ねるとその意味や、彼らの世界観の一端を静かに語ってくれる。
パン焼き窯で焼かれた素朴なパンを河の傍でほうばり、気持ちの良い時間を過ごしたわたしたちはニューメキシコをあとにして次なる目的地ナバホとホピの居留区に向かうことにした。


■タオス・プエブロ■


2/24 グランツ→ウィンドウロック→キームスキャニオン→セカンドメサ

今日の空はどんより曇っている。これから山岳部に向かうのに大丈夫だろうか。
少し風も強い。40号線をギャロップで降り、666号線を北へ少し行った所で264号線に入る。すでにナバホ居留区だ。とうとう雪がちらついてきた。どんどん雪は激しさを増していき、視界が真っ白になってきた。
ウラニウム鉱の露天掘りを過ぎるとナバホ族の部族議会所があるウィンドウロックが見えてくる。ここには春分と秋分に大きく穿った岩の穴から太陽が登るナバホの聖地であるウィンドウロックがある。このウィンドウロックはそのまま地名にもなっている。

私達は雪が激しくなってきたのでまず博物館に行くことにした。
この博物館はまだ新しく、ホールは天井の高い大きな梁の明るい建物だ。ホールを中心に展示室と講演会室、オーディオルーム、ショップ、ミスナバホ事務局がある。
ナバホ居留区の写真展と、鉄道の保安員として働くナバホの人達の写真展、あとロデオのジオラマ風展示を見た。一番興味深かったのはロデオの展示のところで、もともとナバホには馬に乗って土に首から下を埋めた鳥を生きたままつかみ上げることで、雨をよぶ儀式があり、それがだんだんとゲーム化しロデオの形になったようだ。

雪がやんできたので車の中で昼食をとり、ウィンドウロックに向かった。 空はまだどんよりとしていて、少し寂しい感じの岩肌だった。手前には軍隊のメモリアルパークがあり、カラカラと旗のついていないポールが風に鳴っていた。

■ウィンドウロック■


私達は264号線を西に進み標高の高いメサの上を越え、ガナドの町のフッベル・トレーディングポストに立ち寄った。

建物の中に入ると薪の匂いがした。
古い建物で梁が太く、梁にはバスケットや、馬具、農機具等が吊るされてある。中は少し薄暗いが、薪がくべられて暖かい。ショーケースには質のいいジュエリーや年代物の細工物が並べられている。革製品や、ドリームキャッチャーなど工芸品が作者の名前と写真入りで売られていた。
奥の部屋はナバホのラグが積み上げられている。入ると少し毛織物の特有の匂いがする。いいものは100万ぐらいするものが雑然と積み上げられていて、おもわず触りまくってしまった。
建物の外側には古い農機具や馬車、自宅があり、犬やでぶでぶと太った猫達が庭で遊んでいる。その仲間に少し入れて貰ったあと、今夜の宿、キームスキャニオンに向かった。

■フッベル・トレーディングポスト■


もうすでに時間は5時をまわっていた。幾つかのメサを越えキームスキャニオンに着いたころにはすっかり日も暮れていた。まだ時間は6時をまわったところだったが、谷間の夜は早くやってくる。本当は今日はセカンドメサで泊まる予定だったのだが、雪の為に予定が遅れ本を頼りにキームスキャニオンに宿をとることを急遽決めたのだった。

辺りには人影もなく、町の中心にある近代的な病院でホテルのことを聞こうと入ってみた。
中には患者さんが10数人診療を受けようと待っていた。私達は少しバツが悪かったけれど、受付でホテルのことを聞いてみた。
事務の人はよく判らなかったらしく、忙しそうに働いている若いドクターが相談にのってくれた。私達の拙い英語で、少しでも日本語の判る人がいいだろうとDr.Yurgenを紹介してくれた。彼も若いドイツ人のドクターで、少し日本語が判るらしく私達を和ませつつ、ゆっくりとした英語でホテルのことを説明してくれた。
話を聞いてみると、キームスキャニオンにはホテルはない(!)らしくやはりセカンドメサまで行かなければならないということだった。
彼はホテルの予約もとってくれ、詳しいホテルの位置を説明してくれ、万が一判らなかった場合に病院の電話番号を教え、自分にかけるように言ってくれた。(セカンドメサまでは真っ暗な道をひた走ることになるということに配慮してくれた)
彼ら二人の若くてかっこいいドクターに接して、あまり英語の得意でないネイティブの医療に携わる彼らのやさしさと情熱に、心地よく暖かな思いを得ることができた。

わたしたちはおかげで無事セカンドメサの宿に到着することができたのだった。

BACK HOME NEXT
NativeAmerican index

Copyright(C) 1999-2000 Secchan's Japan, all rights reserved.
since Sep.1999